道徳的動物日記

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最近読んだ本シリーズ:『悪口ってなんだろう』『「美味しい」とは何か』『ケアしケアされ、生きていく』

 

 図書館で借り、出退勤の電車で流し読みした新書本たち。どの本もdisることにはなるけれど、ちゃんと読めてはいないです。

 

 

「「からかい」の政治学」や『笑いと嘲り』を読んだ流れで、関連してそうな本書も読んだ。

 本書では「悪口は人のランクを下げるから悪い」という主張に基づいて議論が展開されるのだが、悪口の問題の一部や一側面を説明する理論として「ランキング説」を採用するならともかく、まるで悪口の問題がすべて「ランキング説」で説明できるかのような書き振りであるところが微妙だった。少なくともわたしとしては、悪口を言う側としても言われる側としても、ランキングの優劣よりももっと重要なポイントがあるように思える。たとえば悪口を言う人は「相手の痛いところをついてやろう」と思うものだし、悪口を言われる人は自分の弱みを攻撃されるか、逆に誇りに思っている物事を貶されたりすることで傷付いたり心外に思ったりするものだろうが、こういったごく基礎的に思えるポイントですら「ランキング説」では捉えられないように思うのだ。

 著者が「ランキング説」にこだわる原因のひとつは、「ランキング説」なら悪口という言葉の性質だけを云々することで言う側や言われる側の意図や心理を無視することができて、著者の専門である言語哲学の範囲内で議論を収められるところにあるだろう(たとえば、もし言語哲学ではなく倫理学に基づいて悪口を論じたなら、もっと複眼的で曖昧で範囲の広い議論になっていたはずである)。そして、ふつうなら明らかに重要であるはずの言った側の意図や言われる側の心理を無視しながら「悪口は悪い」という規範的主張を論じられるのは、マイクロアグレッションに関する議論をはじめとする最近のポリコレ的な風潮に合致しているのも大きいだろう。

 関連して、いちおう若者向けに書かれているという体裁が取られているちくまプリマー新書だとはいえ、ポリコレ的で凡庸な規範に基づくお説教がところどころで出てくるのにもなんだか鼻白まされた。

 また、本書の終盤では「権力者に対する悪口はイコライザーとして機能するからOK」といった主張がなされるのだが、「増税クソメガネ」の件を見ていると、権力者に対する悪口も害のほうが大きいように思える。悪口を言ってしまうということは「正論」で批判する権利を放棄することであるし、「権力者の振る舞いも問題であるかもしれないが弱者が悪口を言うことも問題なのだ」という「どっちもどっち論」を招き寄せてしまうからだ。

 

 

 

 さいきんのわたしは美学に興味を抱いており、そして美味しいものは昔から大好きなので本書はわたしにとってドンピシャなはずなのに、全然おもしろくなかった。

 テーマは興味深いのに議論や文章が異様に淡々かつあっさりしており印象に残らない。また「食事も美学の対象になるということを立証する」という美学徒としては挑戦的であるが美学の門外漢にはどうでもいいテーマに拘っているのが、新書としても入門書としてもふさわしくないように思える。分析美学の基本的な考え方を解説しているであろう第2章〜第4章はそこそこ興味深かったからこそ、だからこそ素直に『分析美学入門』として書いとけばよかったように思える。

 

 

 

davitrice.hatenadiary.jp

 

 ↑ 本筋の議論に関しては、この記事とだいたい同じような感想。また、同じくちくまプリマー新書の『客観性の落とし穴 』(そして中公新書の『ケアとは何か』)を書いた村上靖彦の議論にも色々と似ている。編集者も出版社も、代わり映えのしない不毛な「ケア」論を量産することに疑問や恥ずかしさを抱かないのだろうか。

 本書は類書に比べてもエッセイ的な要素が強く、「自分は能力主義や競争にとらわれていたが子どもが生まれてケアが大事だと気づくようになった」というストーリーが主になっているのだが、わたしは初めから能力主義や競争にとらわれていないのでまったく共感を抱けなかった。また、著者は勉強やキャリアに関する努力を積んで競争に勝ち抜いてきたからこそ大阪大学大阪大学院に入学できて山梨学院大学の教授や兵庫県立大学の准教授になれたのだろうし、割のいい定職につけて競争から「あがり」になれたからこそ、いまになって競争を批判してケアが大切だと唱えられるようになったのだと思える。本書に限らず、単著を出版できたり雑誌やメディアに記事を載せて意見を発表できる人ってだいたいは競争に勝ち抜いたり能力を発揮したりして肩書きや立場を手に入れてきたエリートなわけで、そりゃエリートたちは能力主義や競争に自縛されて苦しんだり悩んだりしているかもしれないが、エリートでもない読者がその苦しみや悩みに共感してやる義理はないのだ。

 あと「現代の若者も能力主義や競争や生産性至上主義に捉われている」とか「いまは昭和九十八年である(日本社会の体質は昭和から全く変わっていない)」とかいったことが主張されるのだが、根拠は著者自身の実感や経験、あと著者の身近な若者(学生)との対話とかだけなので、エビデンスとか客観性とかってやっぱり大切だよなと思った。